すきなだけ!!

書きたいことを書くところ

時がたてば

1年がたったらこれを書こうと、半年くらい前から決めていた。ちゃんと清算したいと、私の気持ちとして清算したいとずっと願っていたから。

これを書いたらもう忘れる。2度とこの話はしない。
 

 

今でも鮮明に思い出せる。あの日の午後、わたしは家にいて、クーラーをかけながら布団の上でケータイをさわっていた。TLにはずっとコンサートの感想が流れていて、家でごろごろしてるんだからチケット申し込めばよかったなぁなんて、いつものように欲張ったことを考えていた。
夕方くらいに気になるツイートをいくつかみて、あれっ?て思って検索をかけた。
普段TLにはそういうことが流れないようにしてるから、たしか自分で「見にいった」んだと思う。
並んだ文字を見て嘘だと思った。ただひたすらに驚いた。
でも最初は深刻には考えなかった。事の全容がわかってなかっただけかもしれないけど、それでもわたしにはその名前がそこにあることへの驚きしかなかった。こんなとこに載せるだけ意味のある名前だってことに驚いていた。
例えば、私の名前をもってなにか悲観的な内容を載せたところで誰にもなんの意味もないわけで、そういう意味で彼の名前は意味や価値を持ってるということに驚いていたんだと思う。でもそんなの当たり前のことだ。だって彼はアイドルなのだから。けれど私はあの時までそのことをちゃんと理解していなかった。
時間が経つにつれて色んな人の色んなツイートを目にして、事の大きさがわかってきて、どんどん不安が大きくなって、手が震えたような気がする。あぁこれは大変なことなんだって。少なくとも私にとっては大変なことだからちゃんと考えなきゃって思った。
気付いたら眠ってしまっていて、夜中にだるさで起きた。すこし微熱があって、自分が思っている以上に動揺しているんだとわかった。
次の日の朝起きてすぐコンビニに向かった。自分の目でちゃんと確認したかったから。それでもいざその冊子を手にしたら怖くて開けなかった。たったの見開き2ページが怖くて怖くて読めなかった。変な人に見えるなって思いながら何度も開いては閉じてやっとのことで目を通した。でもそこに浮かぶ文字を私は認識しつつも理解はできてなかったと思う。そのことが逆に私にとっての事の重大さを示していた。自分がどんなに動揺しているかも、これが与えうる影響も、色んなことが頭に浮かんだ。
そのあと、最初に思ったのは何が起こっても自分が後悔しないようにできることをしなければ、ということだった。だからすぐ写真を買いにいった。というか写真が並んでいることを確かめにいった。でも私は色んな状況を想像しながらもそのどれにも現実味は感じていなくて、そこに写真があることを認識しても安心もなにも感じなかった。
劇場にも行った。そこにも変わらず彼の写真はあって、いつものように開演前の少しの緊張と興奮があったように思う。でもわたしはずっと混乱していて、ずっと自分だけが浮いているみたいだった。不安なのか心配なのか安心したのかどれが正解なのかわからなくてずっと宙に浮いているみたいだった。
その日の昼過ぎ、いつものように彼がステージに立っているというツイートが流れていた。それに対しての安堵のツイートもたくさん見た。でもそれでも混乱した私が安心できた瞬間はなくて、ずっと、わけがわからないままだった。
 
裏切られたと思った。
彼に絶対の信頼を置いていた自分の浅はかさを知って落ち込んだ。なんの根拠もないのに、彼に敵はいないと思い込んでいた自分に腹が立って仕方なかった。
あの数日間、わたしにとって彼本人の状況なんてものは重要じゃなかった。今も思えばもっと心配するべきだったかもしれないけど、私は私自身への落胆やこの先私自身がどうなるのかってことへの不安ばかり抱いていた。
自分に対して怒りや苛立ちを向けすぎて、彼本人のことを非難する気にもなれなかった。大体わたしにはあそこに並んだ文字が真実だと確かめる術がないのだから、彼本人に対しても非難も擁護もできない。
そう、私にはあの内容が真実だと確かめる術も真実ではないと確かめる術もなかった。すべての想定は仮想の域を超えることはなく「もしかしたら」という以上の結論の出しようがなかった。本当だったのは間違いなく彼の名前が冊子に載ったことで、それに動揺して落胆した自分がいることだけだった。
 それでもショックだった。本当に苦しかった。どうしていいかわからないことが本当に苦しかった。
 
きっとあの日、私の中に作り上げられていたアイドルの彼は、死んだ。崩れ落ちて消え去ってしまった。
私はきっと絶望していた。こんな風に簡単に崩れてしまうようなものを作って満足していたことに落胆した。
 
もし、彼がステージの上からいなくなってしまったら、私はどうなるんだろうと思った。
瞬間的に、「もう見るものはないな」と思った。
それが衝撃的だった。なんでも見てみたくて実際にいろんな人が出ている公演を見に行って何人もの人に対して好きと思っていて。そんな自分が、ほんとうはたった一人しか求めていなかったのだと知って驚いた。だから絶望した。あの時私の生活の中心は間違いなくジャニーズで、そんなものが消え去ってしまったら明日からどうしていいかわからない。それくらいの不安と自分がそこまで彼ひとりに依存していたことへの驚きで逆に我に返った気がする。もうどうしようもないと。
 
 怒りの矛先はたくさん。大部分は自分に、重要な公演の期間中に記事が出たこと、放映中のドラマの役と正反対の内容、などなど。あとはクリエのことも。なんかすごく嫌だった。私がクリエで見て世界で一番かっこいいと思った彼が翳った気がして。なんだかとっても嫌だった。
 
 
 
でも時がたてば。時がたてば忘れていった。思い出す回数が減っていった。最初に目にした水曜から日曜くらいまではずっとこのことばかり考えていたけど、それでも8月になって9月になって、いろんな現場にも行って普段の生活もあって、どんどんこの記憶は小さくなっていった。
でも、私が彼を生で、ステージで、この目で見る機会っていうのはなかなか訪れなくて。それは私がどこに行こうとするかって問題でもあるし、彼がどうのってことじゃないのだけれど。
それでも雑誌やバラエティやTVで見る彼は変わらず美しかった。彼を美しいと思う心、魅力的だと思う心も変わらなかった、というか変わってないように振る舞ってきた。だってきれいだもの。
 
でも彼本人に対して激怒したことが、一度だけある。
それは12月のこと。記事が出てから約半年後、そんなこと思い出すことなんてほとんどなく生活してたとき。
毎年恒例のクリスマスメッセージ。みんなそれぞれ手書きで、いろいろ考えて書いてるんだろうなぁって想像するのが楽しい小さなカード。
なぜか少し遅れて掲載された彼のそれを見たとき、私は絶句した。そして夏の記憶が、あの苦い思い出が全部よみがえってきた。
思わずケータイを投げつけそうになった。なんで、なんでこんなって思った。
邪推がすぎるかもしれない。こんなの勝手な思い込みで、私が勝手に紐づけてしまっただけかもしれない。
でも私はあのとき、大好きなはずの彼が紡ぐ文字が、あのひらがなのサインが、どうしても、美しく見えなかった。
私は彼の書く字が好きで、彼の美しい名前が彼の美しい文字で書かれているのを見るのが好きで、漢字であれば煌びやかで、ひながなであればやわらかいあの文字が大好きで。
それなのにあのメッセージを見たときはその文字が憎らしいほどに怒りがこみ上げた。彼が書いたであろう、それは疑いの余地はないはずで、そんなメッセージを美しいと思えないことが苦しくて仕方なかった。
あの夏の日、自宅で驚き動揺して、コンビニで手が震えてページが開けなかったこと、訳が分からないまま原宿に向かったこと、お台場の夜景の前で泣きそうになったこと、全部全部思い出して、悲しかった。そんなもの見たくなかった。思い出したくなかった。
年の瀬も近づいて、今年起きたことはすっきりさせたいなぁって、もう時間もたったし忘れていいかなぁなんて思っていた矢先だったから、本当に悲しかった。
こじつけがすぎるかも知れない、ただの思い込みかもしれない。でも見たくなかった。見たくなかったよ。
今度こそは、彼以外に怒りをぶつける相手はいなくて、悲しかったけど、そう思うことしかできなかった。忘れたはずの夏の記憶を思い出さなければいけなかったことに納得がいかなかった。
それでも、ステージで踊る彼を美しいと思う気持ちは変わらなかった。ずっとそれだけは変わらなかった。だから彼が立つステージを見に行きたいと、変わらず願っていた。
 
 
 
それから、また月日は流れて、私はちゃんと彼の担当になると決めました。
でも、あの日のことを忘れたわけじゃないし、忘れられるわけもないし。きっとこの先も私は、夏が来るたびに思い出すのだと思います、あの時のことを。あの時の苦い気持ちを。
それでも私が彼を見たいと思い続けているのは、ステージにいる彼は間違いなく美しいからです。それを覆されたことはないから。それが叶わなかったことはないから。だから見たいのです。それだけでいいんだと今の自分が思っているからです。
 
もしかしたら、こんなことを書かなくてもよかったのかもしれません。今更、たいして誰も言及しないことを、こんな長々と書く必要なんてなかったのかもしれません。というか書かないほうがいいかなとずっと思っていたので、今もこれを公開するのは少し不安だけど、でも私自身が納得いかないから、これを書かなければ清算できないから。そう思って書いたけれど、なんだかうまく言葉にはできなくて、支離滅裂で、それでも、まっさらな心で彼を見るために、少しでも翳りのない心で彼を見るために、やっぱり書いてよかったと思っています。忘れるわけじゃないし、激怒したこと撤回する気もないし、じゃあ何を清算したのかって話だけども、でも悲しくても怒ってても、それでも彼を見たいって、ステージでの彼が美しいと信じる気持ちは消えなかったので、それがすべてであると。それがすべてでいいんだって自分が納得するためにこの時間が必要だったんだと思っています。
 
 
 
あの夏から1年経って、ようやくステージにいる彼を見ることができそうです。
あの日、私の中で消え去ってしまった彼の姿をもう一度、もう一度つくっていけることが今は楽しみでしかないから。だって美しいに決まってるから。
期待しています。